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「姫様、お帰りなさいませ」
遅い帰宅であるのにもかかわらず、侍女に心配する素振りは見られない。その理由は、主人が遅くなった理由とその相手が誰かをよく知っているからだ。
「誰か、湯浴みの用意をしてくれぬか」
ユスティニアは出来るだけ平静を装って侍女に声をかけた。
「湯浴み、ですか?」
「そうじゃ。汗をかいてしもうたのじゃ」
「今から湯を沸かしますので、少々お時間がかかりますが。よろしいですか」
「かまわぬ。それから、これを少し、湯の中に入れてくれるか」
ユスティニアは豪奢な化粧台の上にあったクリスタルの小瓶をとって侍女に渡した。
それは、十六の誕生日に、今では親友となったファーナ嬢から送られた、薔薇の香油だった。湯船に数滴落とすだけで、体からふんわりと薔薇の香りがするのだそうだ。いつだったか彼女がよい香りをさせているのに気づいたユスティニアがそれは何かと尋ねたところ、誕生日に同じものを贈ってくれたのだった。貴族の娘たちの間では密かに流行っているお洒落の一つで、花の香りを身に纏い気になる男性に近づくと自分に興味を持ってくれるようになるらしい。花の種類やいつ摘み取ったかなどで少しずつ違った香りになるそうで、ファーナがユスティニアに送ってくれたものは最高級の薔薇の、それも朝摘みのもので、ファーナが纏っている香りと違って、僅かに透明感がある。
『私のは夜摘みの百合なのよ。あなたのは朝摘みの薔薇。あなたはすでに結婚しているし、わざわざ存在に気付いてもらう必要もないでしょ。百合の、それも夜摘みの方が、香りが強いの。私、どうしても気づいてもらいたくて』
ファーナが淋しそうに呟いた言葉を思い出す。彼女は誰に気づいてもらいたいのだろうか。
「かしこまりました。用意が出来ましたらお呼びいたします」
「う、うぬ」
返事を返しながら、ユスティニアは先ほどのアレクシードの顔を思い出していた。
自分が気づいて欲しいのは、昔も今も、アレクシードただ一人。
『薔薇はね、違った自分を演出してくれるんですって。特に朝摘みは相手をドキリとさせる効果があるそうよ。あなたとアレクシード殿下にはいいかと思って』
違った自分。
アレクシードと街に行くことになったとき、カストリアのユスティニアではなく、ただの街の娘になって一緒に歩いてみたいと思った。ファーナに頼んで街の娘が着るような服を用意してもらって、二人でわくわくしながら準備したのが昨日のことだ。その時、ファーナも何故か自分用に薄い空色のコットンドレスを用意していた。
そういえば、とユスティニアは思い出していた。今日、見かけたファーナとよく似た女性が着ていた服は、同じような薄い空色のコットンドレスではなかったかと。
では、ファーナの気づいて欲しい相手は、フラッド?
ユスティニアが考えて込んでいると、扉がノックされた。
「姫様。湯の用意が出来ましてございます」
「…わかった」
ユスティニアはコットンのドレスのまま、侍女に付き従った。