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「アレク!海に行きたい!」
夫の状況などお構いなしに、ユスティニアは開口一番そう告げた。
言われたほうのアレクシードは、また始まったとばかりに「はいはい」と気のない返事を幼い妻に返した。
「何じゃ、その返事は!もっと真剣に聞かぬか!」
そうは言われても、彼女の突拍子もない提案に毎回真剣に答えていては彼の身がもたない。
「またなんで急に海なんだ」
彼の疑問はもっともだ。彼の元気なお姫様は何の前振りもなくいつも急だ。
「うむ。よくぞ聞いてくれた。これじゃ。見よ、アレク」
そう言ってユスティニアが小脇に抱えていた本をうやうやしくアレクシードの前に広げて見せた。
装丁の豪奢な本は、彼女の祖国カストリアからの贈り物なのだろう。年に数回、彼女の成長に合わせるようにその年頃に見合った本が送られてくる。これもその中の一冊に違いない。近頃は挿絵の少ない本が多いようだが、目の前の本はどうやら絵ばかりのようだった。
「絵本か、ユティ」
そう言って伸ばしたアレクの手を、ユスティニアがぴしゃりと叩いた。
「失礼なことを言うでない。もう絵本なぞ読む年ではないわ。ようく見るのじゃ。絵画集じゃ」
そう言われてみると、子供向けのどこか柔らかい色の絵ではなく、もっと緻密でそれでいて大胆な、名のある人物が描いたであろう絵の本であった。
「へぇ、すごいな。この絵。空も海も真っ青だぞ。一度行って見たいな」
アレクシードの言葉に我が意を得たりとばかりに大きく頷きながらユスティニアは「そうであろう」と言った。
「では行くぞ、アレク」
ユスティニアの言葉にアレクシードは「どこに?」と間の抜けた顔でユスティニアを見た。
そんな様子のアレクシードに腹を立てたのか、ユスティニアは彼の前に仁王立ちになった。
「おぬしは何を聞いておったのじゃ!そこじゃ。その絵に描かれておる海に行くと言うておるのじゃ」
ユスティニアが指差したのは、彼女が持ってきた本であり、彼女が開いて見せた海の描かれたページだった。
「ここ、って、どこだ、ここ?」
答えを求めるようにユスティニアを見ても「だからその海じゃ」としか言わない。
結局、彼女もどこの海かはわかっていないのだ。
アレクシードは「はあ~」っと大きな溜息を一つついた。
「なあ、ユティ。ここがどこの海かもわからなけりゃ、連れて行けないぞ」
アレクシードの言葉にユスティニアは小さく唸って黙り込んだ。
「たんなる海なら連れて行けなくもないけど」
続くアレクシードの言葉に、うつむいてしまっていたユスティニアがその頭を上げてアレクシードを見上げた。
「ほんとか?」
「え?」
「たんなる海なら連れて行ってくれるのか?」
「あ、ああ。こんなに空も海も青くはないけど。それでいいなら」
アレクシードの提案にユスティニアの表情がぱあっと輝きを取り戻した。
「それでよいぞ。では、行くぞ、アレク!」
現金なユスティニアの様子に呆れながらも、彼は彼女の差し出した小さな手を取り、二人並んで部屋を出て行った。
= Fin =