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バルハールでの森の探索は、ここへ来てからのユスティニアの日課であった。昨日見つけた蕾はどんな花の色を見せるのか。大きな木の樹液に集まる虫たちは何匹いるのか。淑女らしくない行動を取りながら、木漏れ日の下を転がるように駆け抜ける。
その後ろを彼女の話に耳を傾けながらアレクシードはついて歩いていた。
この十も年の離れた幼い妻は、何がそんなに面白いのか、毎日飽きずにこの森へ来たがる。そして例に漏れず、彼は毎日のように同行させられているのであった。
まあ、いいんだけど。どうせ、暇だし。
アレクシードは目の前を意気揚々と歩くユスティニアに気づかれぬよう嘆息する。といっても、周りを見るのに忙しい彼女が彼の様子に気づくはずもないが。
「なんじゃ、あれは!」
何かに気づいた様子のユスティニアが、突如、道をそれて藪の中へと入っていく。
「ユティ、離れるなよ」
声を掛けるがすでに遅し。彼女の背丈よりも高い藪の中にユスティニアは消えてしまった。
「おいっ、ユティ!」
再度呼びかけてみるが返事は返ってこない。大方新しく発見した何かに夢中になっているのだろう。
盛大な溜息をつきながら、目の前の藪へと足を踏み入れようとしたアレクシードだったが、藪の先がガサガサと動いているのを見つけた。
「ユティ、そこにいるのか!?」
返事がない。何かあったのだろうか。
慌てて藪をかき分け進んでいくと、藪の中には不似合いな金色の影を見つけた。
「ユティ!」
アレクシードが上から覗くと、柔らかい金の髪を藪の枝葉に絡ませたままユスティニアが立ち尽くしていた。
「大丈夫か?」
絡まった髪を慎重に解いてやりながら声を掛けるが返事がない。
もしかして、どこかに怪我でも…。
アレクシードが彼女を藪の中から救い出すように抱き上げると、心配したとおり紫の瞳に涙を溜めて唇を噛み締めていた。
強情っぱりなこの皇女様は、人前で涙を見せようとはしない。
彼女を抱き上げたまま藪から抜け出し、彼女を目の前に立たせた。見る限り怪我らしきものは見当たらない。
「ユティ、どこを怪我したんだ?」
泣くほど痛いなら、この場で応急処置をしたほうがいい。そう思って尋ねたのだが、ユスティニアは黙ったままだった。
「黙ってちゃわかんないぞ」
顔を覗き込むと、涙を湛えた紫の瞳が真っ直ぐにこっちを見た。
「怪我をしたのは、これじゃ」
そう言って差し出したのは、彼女の可愛らしい手を守る手袋だった。よく見ると右手の甲の部分に小さな穴が開いていた。
「カストリアの姉上から頂いたのじゃ。これではもう使えぬ…」
堪え切れなかった涙が一つ、ユスティニアの瞳から零れ落ちた。
「なんだ」
そんなことかと、アレクシードは思った。どこも怪我がないならそれでいい。
が、その言葉にユスティニアは大いに反論した。
「なんだとは何じゃ!姉上から頂いた大切な品なのじゃ!それをお主は」
「それぐらいなら繕えば直るぞ」
アレクシードの言葉に、ユスティニアは続く暴言を飲み込んだ。
「つくろう…?」
「ああ。あのドレスだって直ったんだろ?」
あのドレス、とは、二人が初めて出逢ったときにユスティニアが着ていた母から贈られたというドレスのことだ。あの後二人は険悪な雰囲気になってしまい、そのことを言い出すことも思い出すこともなかったのだが。
「うむ。侍女に言うとすぐに直してくれたぞ」
「そうか。じゃ、これも直してもらうといい」
そう言うと、彼女は何故か不服そうな顔でアレクシードを睨んだ。
「アレクが直してくれぬのか?」
「えっ?」
「あの時、約束したではないか」
そういえば、そんなことも言ったっけ。
あの時のことを思い返して、アレクシードはあの約束が有効であったことに驚いた。あの頃のユスティニアの様子から、すでに記憶から削除していると思っていた。
「まあ、直してもいいけど…」
侍女にやってもらったほうがいいんじゃないのか。と続けようとしてやめた。目の前でこんなに喜んでいるのに水を差す必要もない、と思ったからだけではなかった。
そうと決まれば膳は急げ、とばかりに、ユスティニアはアレクシードの手を引いて足早に帰路を目指した。いつもの半分も探索をしていなかったことを気にしている様子はまるっきりなかった。