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「口には、してくれぬのか?」
それはいつもの悪い夢を見ないためのおまじないの後。俺の妻、といっても10歳も下の12歳になったばかりの少女で結婚など形だけのものだ、が突如言い出した。
おまじないというのは悪い夢を見ることがないようにと、寝る前にただ相手の額にそっと口付けるという他愛のないものだ。それが俺たち夫婦の一緒に寝るときの(といっても添い寝みたいなものだ)決まり事になっている。…のだが、彼女は何と言ったんだ?
俺が身動き一つしないのを不審に思ったのか、ユティ(俺は彼女から本名のユスティニアではなく愛称の『ユティ』と呼ぶことを許されている)はベッドに横たわる俺の上に馬乗りになり(俺がやったんじゃない。ユティが勝手に乗っかってきたんだ)、ぐぐいっっと顔を近づけてきた。
「私も12じゃからもう大人じゃ。大人なら口にするものだと教わったぞ」
「それ、誰に聞いた?」
何も知らないユティにそんな入れ知恵をするのは、王宮中探しても一人しか俺には思い当たらない。
「フラッドじゃ」
やっぱりな、と俺は思った。そしてさらに彼女は俺の驚きもよそに他の人物の名も上げ始めたのだ。
「フラッドだけでは心許ないから、義姉上にも聞いてみたぞ。ちょうど義兄上もおったので夫婦間のことを話すのは気が引けたのじゃが、義兄上もそうじゃとおっしゃっていたぞ。義姉上もお隣で頷いておられたし。その時、ウードリール指揮官も来たから尋ねてみたら『皆様がおっしゃるのであれば』と言うておった。何やらウードリール指揮官の言い方はおかしかったが、皆が良いと言うのじゃから良いのであろう。きっと」
俺は頭が痛くなった。フラッドだけならまだしも義兄や義姉(二人はこのアダルシャンの国王陛下夫妻だ)、それにウードリール(彼は俺の指揮下にある近衛軍指揮官だ)にまで問うていたとは。忠義の塊のようなウードリールが他人に漏らすとは考えられないが、あの義兄に知られたからには、きっと何かの嫌がらせの材料にされるに違いない。あまりの事に怒りを忘れて涙が出そうになってきた。
この娘は己のやっていることがわかっているのだろうか。いや、これっぽっちも、まるっきり、まったく、理解していないに違いない。大人になってきていることは認めよう。背も2年前に比べたら随分と伸びたし(俺の胸のところに頭がくるくらいだ)、体重だってもう軽々とは抱き上げられないほどだ。全体的に体が丸みを帯びてきたし、その、胸だって、ふんわりとした柔らかさを感じるし(誓ってやましい気持ちで触れたのではない。抱きつかれたときに気づかされてしまうんだ!)。目の前にある、あとほんの少しで触れてしまいそうな唇は、庭に咲いている朝露を纏ったピンク色のバラのようで、思わず手に取ってしまいそうになる。
いや、俺は何を考えているんだ!彼女はまだ12だぞ!
ふっくらとした唇からやっとの思いで視線を外した俺とユティの瞳が真正面からぶつかった。
彼女の、ユティの瞳が、呆れるほど好奇心に満ち溢れていてこれ以上はないほどキラキラ輝いていたから、俺はちょっと仕返しをしてやろうと思いついた。ほんの少し、この遣る瀬無い気持ちを思い知らせてやりたくなったんだ。
俺の上で無防備に馬乗りになった彼女を、無理やり俺の下に組み敷き、両手を彼女の耳の横へ乱暴に置いてみた。
ユティは俺の突然の行動に少し驚いたようだったが、その瞳は相変わらずで、俺は少しむっとした。きっと彼女は『いつもやさしい夫』である俺を疑ったことなどないのだ。
俺はユティの紫色の瞳を見つめた。その瞳が俺以外の他の何も映すことがないように。
ほんの少し彼女の瞳が見開かれたような気がしたが、無視した。
お前が悪いんだぞ。俺をいつまでも『やさしいだけの夫』だと思っているから。
2年前の初めてのキスはその意味さえ知らない彼女からだった。真っ白の真綿がそっと撫でたような、何も知らない彼女らしいキスだったことを覚えている。でも、2度目の、俺からのキスは…。