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「なあ、鈴木。お願いがあるんだけどよお」
小さな商店街の『片付け屋』という屋号がかかった店の奥の部屋で、世にも不思議な喋る蛇が鈴木という男に何かを懇願していた。
その蛇は頭の上に小さな黒いシルクハットを被り、どうやってつけているのか首と思われる場所には小さな赤い蝶ネクタイがついている。そして、蛇らしくない緑がかった水色の体をしていた。極め付けが、蛇のくせに『佐藤』という名前だった。
「ダメです」
懇願された鈴木は、佐藤を一瞥することもなく、ばっさりと要求を切り捨てた。
「ひでぇ!何も聞いてないじゃないかよ!」
「聞く必要はありませんね。どうせロクでもないことを考えいたんでしょうから」
「何で何も聞いてないのにそんなこと言うんだよ!」
「今までの実績から判断した結果です」
「何だよ。その実績って」
「さあ。ご自分の胸にでも聞いてみたらいかがですか」
鈴木に言われて、佐藤は器用に首を捻り、自分の心臓辺りに耳を当てた。
「何も聞こえねえぞ」
素直な佐藤に、鈴木は呆れたように長い息を一つ吐いた。
「あなたがただの蛇だってこと、すっかり忘れてました」
「ん?どういうことだ?」
「…いえ。何でもありません」
その間も、まだ一生懸命、佐藤は自分の胸から何か聞えてこないかと耳を当てていた。
鈴木は心底疲れ果てたように、もう一つ、長い息を吐いた。
「それで、何ですか」
「ん?」
「あなたのお願い事ですよ」
「聞いてくれるのか!やっぱ、鈴木は良い男だよなあ。俺が見込んだだけのことはあるぜ」
賛辞に嫌そうな顔をする鈴木に、佐藤はくねくねと蛇らしく体を動かして近づいてきた。
「このネクタイなんだけどよ」
佐藤はピンクの細長い舌をちょろちょろさせながら、胸を張るようにして首元にある赤い蝶ネクタイを鈴木に見せた。
「それがどうかしましたか」
「見てわかんねえかよ。これ。この端っこのところ、形が崩れてきたんだよ」
「はあ。そうですかねぇ」
「新しいのかってくれよ」
「この間新調したばかりじゃありませんか」
「そうか?」
「ええ。あなたの寝相が悪いんじゃないんですか」
鈴木の指摘に佐藤は鎌首を持ち上げて抗議した。
「馬鹿なこと言うな!俺はネクタイをしたまま寝るなんてことしないぞ!」
「そうですか。でも、私の目には形が崩れているようには見えませんが」
「お前の目は節穴かっ!ここだよ、ここ。右と比べて下がってるんだよ。もっとよく見ろよ」
佐藤の暴言に僅かながらむっとした鈴木だったが、佐藤の言う蝶ネクタイの左右のバランスを確かめるために、佐藤の身につけている蝶ネクタイに顔を近づけて確認した。
そう言われて見てみると、確かに左右のバランスが僅かに崩れているように見えた。
「確かに、そう見えなくもないですが」
「だろっ?紳士な俺としては許せないんだよ。なっ、新しいの買ってくれよ」
「むやみに新しいものを欲しがる前に、今あるものを直してみればいかがですか」
「直す?」
「そうです。その程度ならご自分で直せるでしょう」
「どうやるんだ?」
「こう、両手で掴んで」
言いながら、はたと鈴木は気がついた。蛇には手がない。
急に動きが止まった鈴木を不審に思って、佐藤が声を掛けた。
「どうした、鈴木。早く教えてくれよ」
鈴木は悩んだ。
買うか、直すか。
そして、今日三度目にして一番長い息を一つついた。
「これでいかがですか」
両手で綺麗に形を直してやって、佐藤の前に小さな鏡を一つ置いた。
佐藤はその鏡の前で色んなポーズを取りながら、鈴木の直してくれた蝶ネクタイのバランスを確認した。
「おおおぉっ!元通りだ」
「それでは新しいものは必要ありませんね」
「おう!もういいぜ。サンキューな、鈴木♪」
鈴木はある不安を胸に抱えながら、鏡の前で小躍りする佐藤を見ていた。
もちろん、その後も鈴木が佐藤の蝶ネクタイを直すハメになったのは言うまでもない。
= Fin =