Page: 1/8
カツ。コツ。カツ。コツ。
足音は一つしか聞こえない。そして、それは明らかに自分のものだ。
でも、何か違和感を感じる。誰かがついてきている気がする。
立ち止まってみる。目の前に広がるのは僅かな灯りに浮き上がる民家の影と静かな夜の道だけだ。
僅かに安堵し再び歩き出す。しかし、違和感は消えない。何かがついてきている気がする。
先の街灯の下で再び立ち止まる。
くるりと振り返るが、誰もいない。
また、歩き出す。音はしないが、何かの気配を感じる。
次の街灯で立ち止まり、さっと振り返る。
やはり、誰もいない。
柏井明美は怖くなった。
本当に誰もいないのかもしれない。
でも、誰かいるかもしれない。
恐怖が急速に足元を這い上がる。寒さを感じたように体が震える。
明美はその場から逃げるように駆け出した。
どうしてヒールの細い靴なんか履いてきたんだろう。明美は何度も何かに躓きながら、それでも懸命に走った。
映画で女優がピンヒールで走るシーンがあるが、あれは路面状態がよいからうまく走れるのだ。車もさほど通らない、細い路地裏の路面状態は所々アスファルトがはがれたようになっており、暗い夜道では夜目も聞かないから時々引っかかる。それでもこけることなく走れたのは切羽詰っていたからだろうか。
間隔の離れた街灯を追いかけては抜き去るように走り抜け、明美はマンションのエントランスへと駆け込んだ。
女性の多いこのマンションはオートロックになっており、不審な人間は基本的に入れないはずだ。自分の後から誰もマンション内に入ってきた人間はいないと知っていながらも、まだ明美は不安でしょうがなかった。
帰りを待っていたかのように口を開いたままのエレベーターに飛び乗り、「6」と数字の刻印されたボタンを強く押した。明美の不安など歯牙にもかけず、扉はこれ見よがしにゆっくりと閉まり、僅かな振動を箱の中に響かせながら明美を上へと運ぶ。それを証明するかのように、階を示す数字が一つづつ加算されていった。
軽い浮遊感とともに、ポーンと可愛い音を立ててエレベーターが止まった。明美は扉が開ききる前に箱から飛び出し、狭い廊下を走って抜けて自分の部屋の扉の前に立った。そして、明美は震える手でバッグからマンションの鍵を取り出し、扉の鍵穴に差し込んだ。
いつもならすっと入る鍵穴にどうしても鍵が入っていかない。それが自分が震えているせいなのだと、明美は気づいていなかった。
やっとのことで鍵を回して扉を開け、逃げるように部屋に入って扉を閉めて世情を確認した途端、明美はそのままへたり込んだ。
びっくりするようなタイルの冷たさが、無事に部屋に帰ってきた事を実感させた。