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彼女の部屋に盗聴器を仕掛けてから佐伯が知りえた彼女の情報はかなりの量になっていた。
基本的に自炊らしいこと。入浴時間は一時間かけてゆっくり入るらしいこと。12時には就寝すること。二日に一度は実家に連絡すること。年の離れた弟がいること。その弟をとても可愛がっていること。
明美は盗聴器に気づく様子もなく、ごく自然に生活をしているようだった。
それこそ佐伯が望んでいたことで、十分、満足していた。初めのうちは。
しかし、人間には欲というものがある。欲は尽きることなく、一つを満たせば次の欲が沸いてくるものだ。
佐伯も人間だ。一つを満たしてしまったら、次が欲しくなる。
もっと、もっと、彼女のことが知りたい。彼女が何を考え、何を思うのか。彼女の全てが知りたい。
佐伯の次なる欲求は日増しに膨らんでいった。
そんな頃、その情報が彼女の職場に仕掛けた盗聴器からもたらされた。
同僚との話の中で弁当の話題が出た。彼女のマンションから少し離れた場所に、とても美味しく値段も良心的な弁当屋があり、彼女も月に何度かは訪れるという。彼女が力説してうまいと言う弁当屋に興味を引かれて、佐伯は翌日、早速訪れた。
そこは『おふくろ弁当』という屋号の店で、明美のマンションよりも佐伯のアパートから近い場所にあった。
佐伯が訪れた時間は夕闇の迫る6時過ぎだったせいか、数人の客が店の前で並んでいた。
「いらっしゃいませ。何にしましょう」
佐伯の母よりも幾分年上の女性が佐伯を笑顔で出迎えた。
「お兄さんはうちが始めてかい?」
佐伯がレジ前に置かれたメニュー表を見ながらどれを注文するか迷っていると、その女性が話しかけてきた。
「はい」
「そうかい。なら、まずは『おふくろ弁当』だね」
「おふくろ弁当…」
「そう。『おふくろ弁当』の『おふくろ弁当』だよ。おかずは日替わり、値段も良心的。うちのヒット商品さ。毎日これっていうお客さんも多いんだよ。ちなみに今日は豚のしょうが焼きと里芋の煮つけが入ってるよ」
「そうですか。じゃ、それを一つ」
「はいよ。ありがとうございます。おふくろ一つ、入ります」
奥から「はーい」と返事が一つ返ってきたところをみると、従業員はあと一人はいるらしい。
佐伯が注文して店の脇で待っていると、途切れることなく客がやってきては『おふくろ弁当』を注文していく。この店のヒット商品というのはあながち間違いではないらしい。
5分ほど待つと、佐伯の注文した弁当が出来上がってきた。
「ありがとうございました」
威勢のいい声に送られて、弁当を片手に岐路につこうとした佐伯の目の前に、どこかで聞き覚えのある店の看板が目についた。店の間口一杯に掲げられた看板には『ひっこし一番』と青色のゴシック体で書かれていた。
あの時の引越業者か。
それは佐伯が今のアパートの引っ越すときに利用した引越業者だった。
そういえば近くだったなと思い出した。それ以上何も思うこともなく、きびすを返して立ち去ろうとした佐伯の目に、隣の店の扉に書かれた屋号が飛び込んできた。
磨りガラスに白のゴシック体で『片付け屋』とだけ書いてあるだけで、他には何の装飾もない簡素な店構えだった。
ああ、そういえば、と佐伯は思った。引越の際に引越業者の年配の男性がやけに、片付けはどうするのかと聞いてきたことを思い出したのだ。そして、もし片付けに困っているのなら『片付け屋』という店を利用するといい、あの店の店主の片付けの技術は見事だ、と、しつこく佐伯に言ってきたことも。
佐伯は何故か引き寄せられるように、店の前へと足を向けた。