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片付け屋の面々が帰ってから、佐伯は職場に向かう途中の銀行で鈴木に指定された口座に早々に料金を振り込んだ。一週間以内に振り込めばいいと言われていたが、支払が済まないと記憶の共有に支障があるような気がしたからだった。
支払を済ませほっとした佐伯は、その足でいつもよりはるかに空いている電車に乗り、ゆったりと座席に腰をかけて彼女のことを思い浮かべてみた。しかし、脳裏に浮かぶ彼女は、自分の見聞きした彼女の様子だけで、ついに記憶が共有される様子はなく会社についてしまった。
それから佐伯は合間を見ては彼女のことを思い浮かべようとしたが、その度に電話がかかってきたり話しかけられたりして、思うようにいかなかった。
結局、佐伯がゆっくりできたのはアパートに戻ってからだった。
コンビニで買った弁当と茶が入ったビニール袋を入ってすぐのテーブルの上に置き、イライラしながらネクタイの結び目に右手の人差し指をかけ、ぐいと引いて首もとを楽にした。思わず、ふぅっと息をついたことには気づかなかった。
部屋の灯りを机の上のスタンドライトだけにし、彼女の部屋の窓が見える程度にカーテンを開いた。彼女の部屋には遮光性のカーテンがしっかりとしまっているのは知っていたが、それでも見ていたかった。
スーツの上着だけをハンガーにかけ、佐伯はどさりとテーブルの前に座った。
綺麗に片付いた部屋で、佐伯は慣れた様子でパソコンの電源を入れ、今日録音した音声データを聞くためにイヤホンを耳に刺した。時折、隣にある望遠鏡を覗き込みながら、目の前にあるパソコンのキーボードを叩いた。その合間に買ってきたコンビニの弁当を食べ、同じく買ってきた紙パックのお茶をそのまま口に運んだ。
使い勝手の良くなった空間は、特に注意を払うこともなく、全てのものが手を伸ばしたら取れる位置に仕舞い込まれていた。
だが、それは佐伯にはどっちでもいいことだった。
記憶の共有はまだ成功していなかった。
彼女のことを思い浮かべ、彼女の記憶を探り出そうとするのだが、思い出したくても思い出せないもどかしさに阻まれて、その先へと進むことができていなかった。
イヤホンの向こうの彼女は、どうやら風呂へ入るらしい。浴室の扉が閉まる音がして、それ以降、何も聞えなくなった。
彼女が風呂に入ると小一時間は出てこない。その間に佐伯もさっさとシャワーを浴び、今日一日で集まった彼女のデータを自分のパソコンの中に収めて整理を始めた。
そろそろハードディスクを増設しないといけないな。
彼女の画像や音声などのデータはその都度整理してCDに焼き付けていたが、そうすると、いざデータを確認しようとしたときにそのCDを探し出してパソコンにセットしないといけない。その手間が煩わしくなり、また、それらCDの枚数もかなり増えてきたことから、佐伯はハードディスクの増設を考えていた。
でも今は、そんなことよりも彼女のことで一杯だった。
本当は何か別のやり方があるんじゃないのか。そうだ。あの男、よく忘れていたじゃないか。きっと言い忘れてるんだ。それとも、記憶の共有なんて本当は嘘なのか?騙されたのか?でも、言ってもいないのに彼女のことを言い当てたのはどうしてだろう。あの男の言うことは、やっぱり、本当なんだろうか。本当に記憶を管理しているんだろうか。だとしたら、彼女と記憶は共有されているのか。でも、いまだに彼女の記憶の欠片さえわからないじゃないか。あの男の言うことなんて嘘なんじゃないのか。彼女のことを言い当てたのだって。そもそも、あの男のいう彼女が柏井明美、彼女本人のことだって言えるのかどうか。
その時だった。
佐伯の頭の奥で血管の一部がずくんと疼いた。
痛みは感じなかったが、佐伯は思わず右手で頭の側頭部を押さえた。
そのまま佐伯は意識を失った。