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この世に生れ落ちてから、彼女の周囲は愛に溢れていた。愛は彼女の糧であり、全ての原動だった。愛の中で純粋に育ち、純粋な愛を惜しみなく与える。愛が当たり前だった。
誰をも魅了する愛らしさには、年を重ねるごとに美しさが加わった。両親の愛を一身に受け、一目彼女をその目に写した人々さえも惜しみなく愛を向けた。彼女の吐息に触れたものは喜びに震え、彼女の視線を浴びたものは眩さに目を伏せた。賛辞は彼女のためにあり、彼女には賛辞しか与えられなかった。全ての愛は彼女に注がれ、溢れる愛は、彼女の当たり前だった。
「それでは、よろしくお願いいたす。リーブ殿」
「何をお言いになる。こちらこそ、お手伝いが出来て光栄でございます。ああ、そんなにお急ぎにならずとも、今日は我が邸にご滞在くだされば」
「いや。何分、急いでおるのでな」
「そうでございますか…。いえ、そうでありましょうな。これ以上、お引止めは致しますまい」
「では、失礼させていただくよ。…おや、君は?」
「ラゲク!戻っておったのか」
「つい先程。お父様、そちらのお方は?」
「おお、ラゲクか。そなたはお会いするのは初めてであったな。このお方がブルーサ・イー殿だ。ブルーサ殿、こちらが我が一人娘、ラゲクでございます」
「リーブとハチーマの娘、ラゲクにございます」
「お初にお目にかかる。ブルーサ・イーと申す」
優雅にラゲクは腰を落とし、華のような笑みを浮かべて挨拶をした。そんな彼女を、ブルーサは無遠慮にまじまじと見つめた。
「そう言えば、ブルーサ殿は初めてでございましたな。我が自慢の娘にございます。その愛らしさは、時の皇帝のお耳にも届いたと聞き及んでおりますが、何分、いまだに手を離してしまうのをためらっておりまして」
リーブはいつものように人目を気にすることもなく、自慢の一人娘を誉めそやした。それほどまでに彼は娘を愛していた。だが、続くブルーサの言葉は、彼が思い描いていたものとはあまりにも違っていた。
「君にはどうやら獣拳の素質があるようだ」
「「獣拳」」
父は驚きで目を見開き、娘は始めて耳にした言葉に目を見開いた。
「うむ。もし君が望むのであれば、君はその手に、いまだ誰も手にしたことのない力を手に入れるかもしれないと、私は感じたのだ。獣拳のことは父上にお聞きになるがよろしかろう。私は君の来訪を待っているとだけ言っておこう」
そう言って、ブルーサはもう一度リーブに礼を言い、ラゲクには優しく微笑んで帰って行った。
「お父様…」
「な、なに、ラゲクよ。気にすることはないのだぞ」
「獣拳って何?」
父は問うてきた娘に驚きの眼差しを向けた。
「獣拳とは先ほどのブルーサ殿が創設した新しい拳法だよ。獣の力を感じ、獣の力を手にする拳法だ。確かにこの父も獣拳には少なからず力をお貸ししているが。しかし、ラゲクよ。気にすることはないのだぞ。おぬしは我が家の一人娘だ。無理に我が商家を継ぐ必要もないが、だからと言って無理に家を出る必要もないのだぞ」
リーブは何かを恐れるようにまくし立てた。
彼は気づいていたのかもしれない。可愛い娘が親元から飛び立ってしまうことを…。