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メレは混乱の極みに陥っていた。
どうやら自分は眠っていたらしい。その事に気づいたのは、瞼が閉じられているために暗かったからと、体の感覚が水平になっていると感じたからだった。
何故か重たい瞼を、ゆっくりと開く。真っ白なシーツと自分の手が最初に認識できる。その様子から、自分の体は右側面を下にして横たわっていることを知る。やけに手が白く映ったのが少し気になったが、そのままゆっくりと視界を広げていった。
シーツの襞を一つ一つ、数え歌を歌うように視線で辿っていくと、何かの影が映りこんだ。何だろうと、鈍い思考に委ねながら、さらに視線を動かして。メレはそのまま全ての動きを止めた。
-私、何を見ているの?
見えているものが何か、頭では認識できているのに、心はまるっきり納得できていなかった。
-ありえない……
メレの記憶にある情報からこの状景は何一つ導き出せるものはなかった。
そんなメレには想像だにできないような事が、今、彼女の目の前に広がっていたのだった。
「目が覚めたか」
声がメレの耳に届くが、彼女は微動だにしない。だが、瞳孔がさらに大きく開かれた様子から、聞こえていることは分かった。
「よく寝れたか?」
声の主は愛しきものを労わるように、優しく声を掛ける。
-はい
寝れたのかどうかなんて、分かるわけがない。だが、声の主に対して、メレの答えに否はない。のに、声が出ない。
そのメレの様子にどう思ったのか、声の主は「ふっ」と、吐息をつくように小さく声を零して微笑んだ。
それを見たメレの心臓が、息を吹き返したかのように「ドクン」と跳ねた。
そこから再び、全身に血が巡りだし、ありとあらゆる感覚が鮮明に強烈なインパクトを持ってメレを刺激した。
そんなメレの様子を誰かがあざ笑っているとしか思えない。声の主は、左側面を下にして横たえた体を頬杖で支えたまま、空いている右腕をすっと伸ばし、メレの頬にかかっていたらしい髪の束をすいっと掬い取った。その時、頬に熱が触れ、メレの体はぴくんと跳ねたが、それに気づいているのかいないのか、その手はそのまま声の主の口元へと寄せられた。
「無理、させたか?」
そう言った声の主は、メレの髪に口づけ、上目でメレを見やった。その頬が、どこか少し赤く見えるのは、気のせいではないだろう。
-無理?無理って何?ムリっていう人?それとも新しいリンリンシー?それとも新しい格シターズのメンバーなの!?
メレは隠し切れないほど動揺していた。余りに気の毒である。
そう。メレの目の前にいる人。それは間違いなく理央である。
そこまではいい。メレだって喜びこそすれ、ここまで慌てふためく必要もない。
なら、何故か。
一つ一つ解説していこう。
メレは確かに眠っていた。白いシーツの上で。もう一つ言うならば、それはそれは、寝心地の良い大きなベッドに敷かれた、清潔で素肌に最上に心地よい真っ白いシーツの上だ。
彼女は右側面を下にして眠っていた。奇妙に結い上げられている髪は解かれ、シーツに広がっていた。いつも肘まで覆われている装飾のついた緑色の手袋なんて、もちろん付けていない。彼女の白い両手は軽く重ねられ、目を閉じていた彼女の目の前にあった。
元は皴一つなかったであろうシーツは、人の動きで乱れが生じていた。その乱れの先には、左側面を下に頬杖をついて横たわる理央がいた。
さらに伝えておこう。理央が常に身に着けている黒い装束は全く見えない。そう、つけてないからだ。少なくとも上半身は。腰から下はシーツが掛かっているので、想像するしかないが、黒い装束は付けていないのだろうと思われる。
はっきり言おう。誰がどう見ても、情事の後としか見受けられない。そんな情景だった。
メレの動揺は、とっくに彼女の許容量を振り切っていた。可哀そうに……。
「あ、あの、理央様、ですよね?」
何とか口にできたのは、目の前の存在の確認だった。
違うものであれば、この目の前の状況に怒臨気を発すればいい。一縷の望みを託した。
「ん?そうだが、どうかしたのか?」
メレの髪を弄びながら、理央は事も無げにそう言った。そう言った後も、ずっと、メレの髪を弄んでいる。その様子を見るだけで、メレは何度も息が止まりそうである。
「ど、どうも、しません……」
情けなく、そう言うしかできなかった。怒臨気なんて、とてもじゃないが発せられるはずもない。
何があったのか、思い当たるものがない自分には、目の前の相手に聞くしかなかった。それが、理央であっても。理央の愛のために生き、愛のために戦い続けるメレには、理央の害になるものが自分であったとしたら、そんな自分を抹殺するしかないのだから。
「あの……」
「ん?なんだ?」
いちいちどこか甘さを含んだ理央の言葉に、メレは息が止まりそうになりながらも、懸命に意識をその場に縫い付けた。
「私、寝てしまっていたのでしょうか……」
リンリンシーである自分は眠らないはず。そもそもそこがおかしい。これは夢なんじゃないだろうか。メレがそう思うのは当然だ。
「そのようだな。俺が無理をさせた。体は大丈夫か?」
メレはもう、百回は死んだかと思えた。理央が自ら非を認めることも、自分を気遣うことも、僅かに頬を染めることも、何もかも考えられない。ただ一つ、理央が言う、眠らないメレがが眠っていたらしいことは認めるしかなかった。
「か、体は大丈夫だと思うんですが……」
やたら体の様子を心配される意味が分からない。もしかして、とメレは考えた。互いに生死の境を彷徨うほどのダメージを負う攻撃を受けたのかもしれない。
「何か、大きな傷でも負われたのですか」
理央の傷を癒すために、自分も意識を手放すほどの治癒を施したのかもしれない。それでも、ここまで理央が自分を気遣うそぶりを見せる意味は分からないが。そう、メレは考えた。
「いや。むしろ俺がメレに傷を負わせた、と思うのだが」
メレはさらに、千回は死んだと思った。別に理央に傷を負わされることは何とも思わないが、何故、そこまで頬を染めながら恥じらう素振りを見せるのかが、全くもってわからない。
「傷、の意味が分かりませんが……。理央様から与えられるものは、メレは全てお受けします」
メレは、自分の心のままに、正直に答えた。
今度は理央が一万回は死ねた。メレが理央に対して一途なことは分かっていたことだが、こう改めて言葉にされると、戦いとは違う自分の何かが猛々しくなる。
理央は思わず俯いた。
そんな理央の様子をどう思ったのか、メレがこれまでの動揺も忘れて、理央を気遣うために体を起こした。
メレが体を起こすと同時に、体を覆っていたシーツがするりと滑り落ちる。それと同時に露わになったのは、メレのそれはそれは白い体で。
ハッと気づいたメレが、混乱のまま前を見ると、先ほどまで俯いていたはずの理央はメレを見ていて、真ん丸に見開いた眼を、その白い体に釘付けにしていた。
メレは乙女だ。臨獣殿頭首の側近ではあるが、理央の前では純情な乙女なのだ。だから、「キャーーーッ!」と耳をつんざくような悲鳴を上げてもしょうがない。そしてそのまま、シーツを頭から被り、丸くなって再び目を瞑った。
メレは一億回は死んだと思った。先ほどの自分の失態も、理央に対して悲鳴を上げることも、理央から目だけでなく体ごと逸らすことも、何もかもあり得ない。
鈍い音とベッドを伝う振動が、理央の動きを伝えてくる。メレはさらに身を固くした。
と、次の瞬間、メレの体が宙に浮き、くるんと向きを変えられた。そして、視界を覆うシーツが剥ぎ取られ、左肩にとすっと重みが伝わった。思わず左に向くと、黒いサラサラの髪の毛がメレの肩に流れていた。
「すまない。浮かれていた。逃げないでくれ」
声がメレの左肩から聞こえる。振動が肩から全身に伝わる。
メレはもう、意識を手放したほうが楽だと思った。愛する理央に対しては、間違いなく不敬だろうが、もう、どうやったって自分がもたない。理央の懇願通り、一切逃げることなどできないメレは、最終的に意識を手放した。
= Fin =