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「鈴ちゃんに結婚を申し込んだよ」
突然の親友の告白に、藤島津軽はその意味を理解できず、ただその場に固まった。
「誰が?」
「僕が」
「誰に?」
「鈴ちゃんに」
「何を申し込んだって?」
「結婚だよ」
改めて問いたださなくても、記憶力の良い津軽には十分過ぎるほどに一語一句を覚えていたが、問いただしてみて己の記憶力の良さが腹立たしくなった。
「どうして…」
頭に浮かんだ疑問がそのまま口をついて出ていたことにさえ気づかないほど、津軽は動揺していた。
「どうしてって言われても…。津軽ならわかってくれると思ってたけどな」
「僕が…?」
「うん。家のことを考えても今度は失敗できないし、うちの小鬼たちにも気に入られそうで、見目も頭も良く、家柄も申し分ない令嬢ってそうはいなくてね。ふと見渡してみると、灯台下暗し。鈴ちゃんがいるじゃないか!鈴ちゃんはもう年頃だし、僕も今は独身。何も問題はないと気がついてね」
「いや、まあ、そうかもしれないけど、何もあの子じゃなくても。もっとおまえに合う年頃の女性がいるだろう」
河内も津軽同様、幼い頃の鈴子をよく知っているはずだ。そんな相手を結婚対象にするなど、普通は考えられないだろう、と津軽は思う。
「津軽。おまえはわかってないけど、鈴ちゃんも年頃の女性だよ」
河内に言われなくても、津軽だって気づいていた。昔のように彼女と連れ立って歩くと、道行く男たちが皆一様に振り返る。美しい彼女をもう一目、その瞳に映そうと。
「おまえに言われなくてもわかっているよ。だけど、大事なのはあの子の気持ちだよ。あの子は何て言ったんだい?」
多分手ひどく断られたんだろうけど、と続けようとした津軽だったが、親友の表情を見て、その言葉をごくりと飲み込んだ。
「まさか、おまえ…」
「うん。幸いにも断られることはなくてね。少し考えさせて欲しいって言われたよ。とりあえず、鈴ちゃんのお兄さんと、後見人でもあるおまえのご両親にも、今日、挨拶方々報告したんだ」
いつの間にそこまで、と半ば呆れずにはいられなかったが、彼の表情を見てその本気度に気がついた。
「おまえ、本気、なのか…」
「ああ、そうだよ。鈴ちゃんが津軽のことをずっと好きなことも、津軽が鈴ちゃんを意識せずにはおれないことも知ってる。けど、理屈を優先するおまえは絶対に動かない。それじゃあ、いつまでたっても彼女がかわいそうだからね。僕ならおまえを好きな彼女を受け入れることもできるし、地位も財産もあるから、そういう面でも彼女を幸せにできる。もちろん、僕だって彼女を娶るからには、絶対に幸せにする。いい話だと思うよ」
確かにそうかもしれない。けど…
頭のどこかで理解しながら、心のどこかで納得できない。説明のつけられない感情に、津軽は端正な顔を歪めた。
「ここまで言っても、何も言わないのかい。津軽」
はっとして顔を上げると、どこか淋しそうな表情で自分を見つめる河内と目が合った。
「何を、言えと言うんだい。僕に…」
河内の言いたいことはわかる。わかるけど、わからない、わかりたくない。
津軽はさらに顔を歪めた。その顔はどこか泣き出しそうにも見える。いつも飄々とした彼にそんな顔をさせるのは、この親友くらいのものだろう。
「言いたくないならいいよ。言いたくなった言いに来ればいい」
河内はそこで言葉を切り、俯いたままの津軽に近づき、彼の耳元ではっきりと告げた。
「手遅れにならないうちにね」
そう言いおいて、河内は背の高い帽子を慣れた手で被り、部屋を出て行った。
= Fin =