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それは夢か
いつかくる現(うつつ)か
「津軽、今まで大変お世話になりました。このご恩は生涯忘れません」
突然そう告げられて、当の津軽は目を見開いて目の前の鈴子を見た
「ちょ、ちょっと待って!一体どうしたっていうんだい?急に改まって」
一瞬鈴子はきょとんとした瞳で津軽を見ていたが、思わず突いてしまいたくなりそうなほど頬をぷくっと膨らませて津軽を睨んだ。
「急でもないし、こういうときはこうするものでしょ!だって津軽は私の親のようなものなんだし」
不意に彼女の口から出た「親」というたとえに、津軽はぴくりとした。
「親って…。僕はまだ独り者だし、君のように大きな子を持った覚えはないよ」
「わかってる!けどこういう日を迎えられたのも津軽のおかげだと私は思ってるし、そのお礼を言いたくて」
鈴子の大きな瞳がゆらゆらと揺れる。突けばぽろりと大きな雫が落ちそうだ。
津軽にとって鈴子の涙ほど堪えるものはない。
「あー、ごめん。そんなつもりじゃないんだよ。…ところで、こういう日って?今日は何かの日だったかな」
津軽には先ほどからの鈴子の態度がよくわからない。常は勘も洞察力も鋭い彼だが、どうも今はそれも鈍っているようだ。
そんな津軽の様子に最初はいぶかしんでいた鈴子だが、本当に何もわからないらしい彼に、涙も引っ込んだらしく、呆れ顔で彼を見つめた。
「本当にわからないの?」
「さっきから考えてるんだけどね。思い出せないんだよねぇ」
そもそも今日が何月何日かも思い出せないのだ。それに、ついさっきまで何をしていたのかさえもまったく記憶にない。まるで記憶喪失にでもなったかのようだ。
本気で考え込む彼に嘘ではなさそうだと思った鈴子は、はあっと大きな溜息を一つついた。
「今日は私の祝言の日でしょ」
「祝言?」
「そう。この姿を見てどうしてわからないの?」
そう言われて改めて彼女を見ると、真っ白な衣装に身を包んでいる。
「えっ?でも、だって、君はまだ子供じゃ…」
「ひどいわ!津軽から見たら私はまだ子供みたいに見えるんでしょうけど、私はもう大人よ!」
そう言って白無垢の綿帽子の下から彼を睨む鈴子は、いつの間にか年頃の娘に成長していた。
「えっ!あれ?どうして?さっきまで子供だったのに」
慌てふためく津軽に、鈴子は呆れ顔だ。
「もうっ!津軽ったらこれだもの。意味ないじゃない!」
「いや、だって。一体いつの間に」
本当に記憶喪失になったとしか思えない。今の津軽の記憶にはまだ幼い鈴子の姿しかなく、目の前の年頃の美しい女性など見たことがないのだ。よく見ると確かに幼い鈴子の面影がないでもないが。
「寝ぼけるのもいい加減にして!もうすぐ叶が来るんだから」
「へっ?誰って?」
「それも忘れたの?だから、叶よ」
「叶って…。もしかして、君の相手って…」
「そうよ。叶よ。叶についていくから、もう津軽にもそうそう会えなくなっちゃうから、だから、こうやって挨拶しに来たのに!津軽の馬鹿!どうしてこんな大事なときに寝ぼけちゃってるの!」
最後は大きな瞳からぼろぼろ涙を零しながら、鈴子は津軽をぽこぽこと力なく殴って訴えた。
それほど痛くはないはずなのに、殴られるたび、彼の心は鋭く痛んだ。
祝言?この子が?あの子と?いつの間に?ついていくって?ここを出てくってこと?どうしてこんなことに?祝言って?この子が?いつの間に?どうして?
津軽の思考はただ無常に繰り返されるばかり。そして胸に響く痛みはただ無常に増すばかり。