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「そっか。あそこを出なくちゃいけないのか…」
政二が感慨深く呟いた「あそこ」とは、詩春の育ってきた養護施設のことだ。幼い頃に両親を亡くし、身よりもなかった詩春は長くそこで暮らしてきたが、18になると出なければいけない決まりだった。
幾らか補助が出るとはいえ、たった一人、できるだけ出費を抑えたい。そう考えていた詩春が持っていた不動産情報誌が鞄から覗いていたらしく、それを見つけた政二から理由を問われたのだった。
小さな双子たちは、政治の兄でもある父と、そのなくなった妻の両親の元へと巣立っていった。そうなれば、詩春と松永家を繋ぐものはなくなってしまうはずだった。しかし、政治が詩春に思いを打ち明け、そして、密かに政二に思いを寄せていた詩春がそれに答えたことにより、切れてしまうはずだった繋がりは再び繋がった。アナウンサーという職業柄、休日、昼夜問わず忙しい政二ではあったが、それ以来、できるだけ時間を作って詩春と会うようにしていた。今日もそんな僅かな隙間時間での出来事だった。
「はい。でも、なかなか見つからなくて…」
男ならまだしも、詩春はうら若き女性。安全面なども考えると、選択肢はどうしても限られてしまう。
悩んで俯き加減になる詩春を見て、政二がぽつりと「そうだな」と呟いた。
「えっ?」
何か聞き漏らしでもしたかと、詩春が政二を見やると、彼は顎に手をやり、考え込む仕草をしていた。
「手がないこともない、けど」
「どこかいい所でもあるんですか?」
「ん、まあ。将来を見据えて、というか…」
「どこですか?早く決めなくちゃいけなくて」
「俺のトコ」
「えっ?」
「俺のトコとかどう?結婚前の予行演習として」
最初は何を言われたのかさっぱりわからなかった詩春だったが、真っ直ぐな政二の視線を受けながら、言葉の意味を噛み締め、やっと脳に染み込んだところで、顔を真っ赤にした。
「えっ、あの、私…。えっと」
真っ赤になってしどろもどろになる詩春を見て、政二はプッと吹き出した。
「ははは!冗談だよ、詩春ちゃん」
付き合うことになって程なく、政二はごく自然に詩春の名前を呼ぶようになった。そのことでさえ詩春にはまだなれないことなのに、こんな冗談は心臓に悪過ぎる。
「ひ、ひどいです!松永さん」
対する詩春はまだ名前を呼ぶこともできず、いまだに苗字にさん付けだ。
「まあまあ。その件は俺に心当たりがあるから、聞いといてあげるよ。不動産の物件って、誌面に載らないまま決まっちゃうのも多いからね」
「そうなんですか」
政二の言うことが本当なら、まだ社会に出ていない詩春にはわからないことだらけでかなり難しいことに決まっている。
「それじゃあ、お願いします」
ぺこりと頭を下げた詩春だったが、政二がじっと自分を見ているのに気がついた。
「あの、もしかして、ご迷惑、ですか」
心配そうに問うてきた詩春に、政二は「いや」と否定した。
「一度は一人暮らしを経験しとくといいよ。でも」
「でも?」
「いつかは俺とあの家で暮らそうね」
一語一語、言葉を確かめるように、頭の中で政二の言ったことを反芻した詩春が、意味を理解して真っ赤になるのを見届けて、政二は嬉しそうに微笑んだ。
= Fin =