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「…おっさんトキメかせてどーすんだ」
そう言ってボスは、目をぎゅっとつぶって真っ赤になっている嵐(あらし)の頭をぐいっと押し戻した。
ふっと嵐の膝から重さが消える。すると、頭が二回、ぽんぽんとやさしく叩かれた。
「んじゃ帰るか。ありがとな、嵐(らん)ちゃん」
ジャリッと砂の音がして、嵐が目を開けると、すでにボスは背中を向けて歩き出していた。
「あっ、ボス!」
慌てて嵐もボスの後を追う。
すぐに追いついたが、いつもなら隣を歩くのに、どうしてもそれができない。
さっきのは何?さっきのは何!?さっきのは何!
嵐の頭の中はパンク寸前だ。
ちらりと後ろからボスの様子を伺うが、彼の背中から煙草の煙の先が見えるだけで何も伺い知れない。
そうしているうちに事務所へと着いてしまった。
「ただいまーっと」
いつものようにボスが事務所の鍵を開けて、誰もいない室内に向かって声をかけた。
ボスはすたすたと正面にある自分の席へと向かう。嵐も遅れて部屋に入り、事務所の扉を閉めようとした。
「ああ、嵐ちゃん。今日はもう帰っていいから。お疲れさん」
締め切る前にボスが嵐にそう言った。
ぱっと顔を上げると、ボスは嵐に背中を向けたまま、机の上の吸殻で溢れかえった灰皿にさっきまで口にくわえていた煙草を押し付けていた。
「えっ?でも、ボス。まだ時間じゃ」
「うん。まあ、今日は嵐ちゃんに頑張ってもらったし、十分時間内分の働きはしてもらったしさ。後の雑用くらいたまには俺がするさ」
嵐の顔を見ることなくそう言われて、嵐の心はざわつく。
どうして?どうして!?どうして!
「でも、ボスッ!」
考えるより体が先に動く。気づいたら嵐の手はボスのスーツの上着を掴んでいた。
「ん?」
ボスの顔が嵐に向けられる。でも、逆光で嵐からはその表情がよくわからない。
「でもっ、私、思いっきりボスの頭を地面に。もし、まだ痛みとかあったら」
「あー、もう大丈夫さ。気にしなくていい。嵐はもう帰りな」
嵐の言葉を遮るようにボスはそう告げた。でも、その言い方はどこか突き放したようで、嵐は零れそうになる感情をぐっと堪えるために唇をぎゅっと噛んだ。
「何て顔してんだ。もう心配しなくても大丈夫だから、今日は帰って休みな。ん?」
ボスの手が嵐の頭に乗せられる。頭を撫でられるのなんて子ども扱いみたいで嫌なのに、でも、どうしてだか今は嫌じゃない。
「わかり、ました。帰ります」
「おう」
ボスの手が嵐の頭から離れる。その重みが消えてなぜか淋しいのはどうしてだろう。
嵐は感情を持て余しながら鞄を手に取った。
「じゃあ、お先に失礼します」
「んー。気をつけてな」
「はい。…あの、ボス」
「ん?なんだ」
「あの…。頭、ちゃんと冷やしてくださいね」
「おう。ありがとな」
ガチャリ。
扉を閉めても、嵐の足はなかなか動かない。
どうしてボスは?どうして私は!?どうして…!
考えても考えても、答えは出ない。
嵐は鞄を肩にかけ、俯きながら事務所を後にした。
一人部屋に残されたボスが、自己嫌悪に落ちながら溜息をついていることなど知らずに。
= Fin =